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saitodance

2011年05月30日

大恩人からの支援金

東京のケヅカテツオダンスアカデミーで教えていた頃の生徒さん達から支援金が送られてきました。

皆で久々に集まって私達との思い出話に花を咲かせたそうです。

………本当にいい人達だったよね…………って

あの〜〜私達生きてますけど!!ピンピン!!

今でも気に掛けていて下さる皆さんに感謝感謝です。

もう25年も前になりますが、上京してケヅカに入って1週間も経たないうちだったと思いますが、なにか凄そうな一個連帯7、8人がスタジオに乗り込んできて、鉄雄先生に詰め寄っていました。

どうやら前に派遣した教師が行けなくなったらしく、さっそく次の教師をよこしてくれと凄い剣幕でした。

大勢教師が見守る中(当時は25名の大所帯)鉄雄先生は一番ぺーぺーの私達に

「斎藤君やるかい?」と声をかけて下さいました。

もちろん私達は「やります!」とご返事し、凄い怖そうな一個連帯の皆さんのサークルにコーチに行く事になりました。

それが昭島市のダンスサークルプロムナードとの最初の出会いでした。

まさかその時の出会いが25年のお付き合いになるとは思いもよりませんでした。

サークルに指導に行くようになってすぐ、立川教室勤務の火曜日と土曜日のレッスンがふたりとも満杯になるほど皆さんでご入会いただいたのです。

しかもこぞって発表会にもご出演頂きケヅカで勤務していた6年間どんなに助けて頂いたかしれません。

プロになっての初デモもプロムナードの方の御推薦で多摩地区のスポーツダンス大会のゲストとして1500名のお客様の前で踊らせて頂いたのでした。

数え挙げたらきりがないのですが、

自分たちの家族の理由で仙台に戻りスタジオをオープンしたときもみんなで駆け付けて来てくれました。

縁があったといえばそうなんだと思いますが本当にありがたく私達の大恩人の皆様なのです。

喜古さんご夫妻、久保田さん、海谷さん、今岡さん、荒蒔さん、

落ち着いたら是非ともお食事皆さんでご一緒しましょう\(^O^)/


記 佳代子
  


Posted by saitodance at 08:39Comments(0)

2011年05月27日

大事な人達

写真は今年も咲き始めた我が家のカクテルという一重のバラです。

〜〜〜〜*〜〜〜〜

このブログを始めてから幸せな事ラッキーな事を書いてきました。

震災で本当はとても辛い事がありました。

千年に一度の大災害といわれる今回の震災で生徒さんや家族や友人の家が甚大な被害をうけました。

そして
生徒さんお一人と、旧友夫婦が津波の犠牲になってしまいました。

辛いけど自分の、そしてみんなの記憶にしっかり留めておいてもらいたいし、強く前進するためにも書いておきたいのです。


上品で花のように美しくいつもこぼれるような笑顔で接して下さった千葉さん。

及川先生と発表会でワルツを踊ってくれました。淡いクリーム色のドレスが本当にお似合いで初々しいダンスでした。

優しい笑顔で踊る千葉さんにつられて会場全体が幸せになりました。

去年の暮れの年忘れダンスパーティーでもルンバのミックスデモに出演して下さいました。

一昨年の暮れのパーティーではベストドレッサー賞に選ばれてフロアの真ん中できつーいハグをしましたね。


旧友の星太二さんは正志がダンスを始めた頃からの親友。

私達の結婚式の時もスタジオのオープンパーティーの時も友人代表の挨拶をして頂きました。

震災前の2月27日陸前山王で行われたSDA選手会のパーティーにも駆け付けて来てくれて

「遅ぐなってしまって〜正志さんと佳代ちゃんのデモまだだっちゃねー?」

っていつもの人懐っこい笑顔を見せてくれました。

毎年夏になると丹精込めて育てた美味しい北釜メロンを届けて頂きました。

……………千葉さんも太二さんもご夫妻で旅だたれたので寂しくないですよね。
もうきっと国で楽しくダンスしてますね!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

大変な犠牲を払って頂いたけど日本は確実に良い方に変わりました。と、ご冥福をお祈りしながらお礼を言いたいのです。

人は一人じゃないみんなで力を合わせて助けあって生きて行こうって日本の心がひとつになった事。

何気ない毎日がじつは当り前の事ではなく、とても奇跡的でありがたい毎日だったと気付かせてもらった事。


ご自宅が津波の被害に遭われた生徒さんが数人いらして心配していましたが少しずつ復帰してきています。

生かされて生徒の皆さんとダンスのレッスンが出来る毎日を本当にありがたいと思っています。o(^-^)o


記 佳代子
  


Posted by saitodance at 12:44Comments(0)

2011年05月24日

千恵子先生から支援物資

山本千恵子先生からパンの支援物資が届きました。

しかも箱いーっぱいです。
パン屋さんにパンを買いに行ったら丁度焼きたてのパンがたくさん出てて美味しそうだったので………って
感激(。≧∇≦。)

そこで私達を思って下さるなんて嬉しすぎます。!

その日レッスンにいらした生徒さんたちに

「千恵子先生から支援物資頂きましたぁ。皆さんに配給いたしまーす。」

とお配りして、感激しながらみんなで頂き心もお腹もいっぱいになりました。

(●^ー^●)(●^ー^●)(●^ー^●)

記 佳代子
  


Posted by saitodance at 12:02Comments(0)

2011年05月20日

ゆの先生が遊びに来てくれました

元スタッフのゆの先生が愛息の鴻輔(こうすけ)ちゃんと遊びに来てくれました。
住んでいたマンションの玄関部分が津波の被害にあい、おばあちゃんの住んでいた家にお引っ越しをするとの事。

おばあちゃんのお家があって良かったねー。

それにしても鴻輔ちゃんのかわいらしさには一発でやられちゃいました。
(●^ー^●)

ゆのちゃんとそっくりの笑顔でちゆ(^ε^)-☆Chu!!

記 佳代子
  


Posted by saitodance at 19:38Comments(0)

2011年05月20日

小林康子先生からの支援物資届きました

青森の大先輩小林康子先生から陸奥湾の海の幸をいろろと送って頂きました。
(☆。☆)(☆。☆)(☆。☆)
あの優しい口調で

「お見舞いだよ〜元気だしてね〜」と。

震災直後から何度もお電話を下さり、心配して頂き本当に感謝しています。

小林先生は大先輩ですが、公私ともに仲良くして頂いています。


東京、北海道、九州、京都他、日本各地での競技会、
イギリスのブラックプールやUK選手権には何度も一緒に行きましたし、オーストラリアの大会にも3回はご一緒してると思います。
旅は何処に行くかという事より誰と行くかだといいますが、小林先生とご一緒させて頂いた旅は何処に行っても最高に楽しい思い出ばかりです。

人類が全て滅亡して最後の一人になっても元気に戦って行くだろうと思っていた武志先生が亡くなられて2年も経ってしまいました

今でも寂しくてしょうがないのですが、お葬式の時に康子先生が語った………

「この人と一緒でほんとに面白かったね〜〜〜」

という言葉に全て表れているように思います。


2人でダンスを必死に練習して、チャレンジし続け、東北を代表する大チャンピオンでした。
いろんな施設の慰問などボランティア活動も積極的になさっていたとも伺っています。

遊びも一生懸命で特に釣りがお好きでした。
私達も下北半島の福浦の釣りツアーに連れて行って頂いた事がありました。

仲間の先生方と一緒に大自然の中に遊んでほんとに楽しかったです。

自分の正しいと思った事を道なき道を切り開きながら進んできた先生ご夫妻。

サバイバルな人生の楽しみ方を先生に教えて頂きました。

エネルギッシュでしかも優雅なダンスは私達の永遠の憧れです。(。≧∇≦。)


記 佳代子
  


Posted by saitodance at 10:26Comments(0)

2011年05月15日

震災の日の奇跡

岩手県から毎月レッスンに来て下さっているAさんご夫妻は震災後昨日で2回レッスンにいらして下さいました!

震災当日Aさんご夫妻と奇跡としか思えない出来事がありました。

3.11 14時46分2階フロアに7名4階フロアに6名の生徒さんと教師がおりました。

3分間の長い恐ろしいほどの揺れがおさまり、皆でビルの外に出て向かいの駐車場に避難しました。

余震が続く中1時間程過ぎて生徒さん達は自宅を目指して徒歩や自転車、車などでそれぞれ出発して行きました。

そんな中Aさんご夫妻は、新幹線は止まったし、バスもダメだろうと思われるので、我が家に泊まるように言ったのですが、

「タクシーをつかまえてなんとか行ってみます」と

スタジオの前から町の中心部の方へ歩いて行ってしまいました。

あの日はどんどん寒くなっていきとうとう雪まで降り出しました。

なんとしても止めるのだったと後悔しましたが、もはや電話も繋がらず無事に帰れる事を祈るしかなくなりました。

5時を過ぎて車も少し流れてきたようだという主人の判断で生徒さんの阿部さん親娘とともに帰路につきました。


なんと!出発してまもなくあるホテルの前にAさんご夫妻がいらしたのです。

すかさず私は「Aさん早く車に乗って」と叫んでいました。

あーお会い出来て良かった(。≧∇≦。)


Aさんは長距離バスやタクシーをつかもうとしたがだめで、その後駅前界隈のホテルを何件かあたったが満室で断られ、丁度お会いしたホテルを断られた時に大きい余震が来たので外に飛び出したところだったそうです。

10秒遅くても巡り会えなかったと思い見えない絆で結ばれている事に感謝しながら名取の自宅に向かったのです。

一夜が開けてこれまた奇跡的にお嬢さんに電話が繋がり、車で迎えに来て頂いてご無事に岩手までお帰りになる事が出来ました。

あの大事の中でもニコやかで仲睦まじいお二人に感心したものですが、2か月たってあの日あの時を思い出してやはり

「凄い奇跡でしたよね」とまたまた盛り上がり、忘れられない出来事になりました。

記 佳代子
  


Posted by saitodance at 01:41Comments(0)

2011年05月12日

カセットボンベ長者

我がスクールの発表会のときの名司会者であり、言の葉アーティストの渡辺祥子さんの震災直後の素敵な体験をお聞きしました。

………………*………………
地震のあった当日ライフラインがすべてストップしてしまいました。

まず、カセットコンロを出したそうです。ボンベを確認するするとコンロにセットされているボンベの他予備は一本しかなく大事に使わなくては!と思ったそうです。

しばらくするとお向かいのお宅の奥さんがあわてていらして、

「カセットボンベないかしら! うち一本も無くなっててー」

と困り果てた様子………

でもうちも予備が一本しかないし………と心の中では葛藤しながらも、

「どうぞ!」と差し出したというのです。

私には絶対出来ない(^o^;と思いながら話を聞いていると、

その後どうなったかというとー。

次の日お友達がカセットボンベたくさん買ったからと置いてってくれたそうです。(*^_^*)ホッ

その後知り合いが送ってくれた支援物資のなかにもカセットボンベがあり、なんとなんとガスが復旧するまで一度も買わずにすんだのだそうです。

ふーん なんかいい話しですよね。

わらしべ長者ならぬカセットボンベ長者ではありませんか(☆。☆)

わらしべ長者とは
ある貧乏な男が観音様のお告げをうけて、掴んだ一本のわらしべから長者になっていくというおとぎ話です。

祥子さんは掴んだんじゃなくて手放したんですが。
その時最も大事な物を手放すって難しいです。

祥子さんにもきっと素晴らしい観音様がついてらしてその行動を見て、その後困らないようにして下さったのですね。(☆。☆)

記 佳代子
  


Posted by saitodance at 08:47Comments(0)

2011年05月06日

及川先生は神戸へ旅立ち

サイトウダンスアカデミーではもうひとつの激震があったことをお知らせしなくてはいけません。

スタッフの及川先生が神戸へ旅立つことになりました。
4月30日付けでレッスンは最後になりました。
この2週間大勢の生徒さんが駆け付けて、皆さん口々に地震よりショックだわーといいながら別れを惜しんで下さってました。

ほんとうに明るく楽しい素敵な生徒さん方に恵まれてましたね。


私達も残念でなりませんが及川先生には今年の夏で10年お勤めして頂きました。

当時パートナーだったゆの先生とレッスンに来てくれたのがきっかけでスタッフとして入ったのです。

生徒さんには優しく楽しいレッスンが人気でしたし、裏方の仕事も骨惜しみせず進んでやってくれたので私達はどれだけ助かったか分かりません。

関西に行くと言われて私達も最初は驚き、なんで!
と思いましたが、10年という区切りでもあるし、きっと自分の中でいろいろと考えた結果だろうし、この度の震災はスイッチになったのかなと理解しました。

私達もこれまで自分のやりたいことをやりたいようにさせて頂いて今日迄きました。

及川先生にも自分に責任を持って後悔のないように自分らしく生ききってもらいたいと思っています。

関西の人々の率直さ、明るさのエキスを貰ってのびのびと羽ばたいて下さいね。

記 佳代子
  


Posted by saitodance at 01:29Comments(0)